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Session #5 人力車夫〜元祖ウルトラランナーの食事

Farsari_rickshaw

次の目標レースである信越五岳トレイルランニングレース110kmまでついに1か月を切った。ゆるゆるながらベジ生活を志向しているせいか、週末にそこそこ走ってきたからか、体重は前回の大レースであったメキシコの時と同じで68kg台まで絞れてきた。問題はこの暑さだ。先週末は僕のホームコースでもある鎌倉に走りに行ったのだけれど、暑さに負けて早々にギブアップ。この酷暑では、やっぱりもう少し標高の高いところでないと、長い距離をガッツリ走るのは難しい。この時期に富士山がトレイルランナーの聖地になるのも頷ける。

でも古都鎌倉を抱くように連なる山々のトレイルはやはり趣きがあって僕は好きだ。鎌倉の古道や七口と言われる切通しを走り抜けると、確かに鎌倉武士がひょっこり現れてもおかしくない雰囲気がある。「鎌倉の社寺の中でも最もアクセスの難しい神社のひとつ」といわれる朝比奈の熊野神社もお気に入りのトレランルートの一つだし、街なかを行けばいたるところに名所旧跡があり、思わず足を止めて散策したくなる(実際は汗でびしょびしょの格好ではなかなかそうもできないのだけれど)。そして、街でみかける人力車が、この古都の雰囲気をいっそう盛り上げてくれる。

今回はこの人力車を押して走る車夫の話だ。といっても人力車は本当は鎌倉時代と関係するような古いものではなく、明治時代はじめに日本で発明されたものだった。それまで主流だった駕籠よりも速く、馬よりも人間の労働コストのほうが安かったため、すぐに人気の交通手段になったという。その人力車を使った面白い実験をした外国人がいる。明治政府に招聘され東京医学校(東京大学医学部の前身)の医学教師として来日したドイツ人のベルツだ。

ベルツは日本の近代医学の基礎を築いた人物としてつとに有名だが、同時にその時代、日本人が自ら積極的に忘れようとしているかのような古い日本文化の意義と重要性を深く認識し、その維持や復興のために尽力した人物でもあった。シーボルトらとともに日本美術の収集に努め、また文化人類学の立場からも日本人を研究している。そんな中に「人力車の車夫の走力実験」というものがあるらしい。概要はおおまかにこうだ。

 

 ベルツが東京から日光まで旅をした時のこと。その110kmの行程の途中、馬を6回変えて14時間で到着した。別の機会に今度は人力車で行ったところ、たった一人の車夫で14時間半しかかからなかった。実に30分しか差がないことで車夫の走力に驚いたベルツは、二人の車夫を相手に実験をしてみることにした。一人には、普段と変わらない食事、つまり玄米のおにぎりと梅干し、味噌大根の千切りと沢庵といった食事を取らせ、もう一人にはおにぎりの代わりに肉を食べさせて、毎日40kmほど人力車を走らせたのだ。すると、普段の食事をしていた車夫は3週間経っても元気に走っていたけれど、肉を食べさせられた車夫は3日目には疲れすぎてダウンしてしまい、「走れないから元の食事に戻してほしい」と頼んだそうだ。元の食事に戻すと、また元気に走れるようになったという。

 

ちなみに少し脱線するが、この話は菜食をテーマにした日本のサイトで度々引用されていて、『ベルツの日記』(上・下 岩波文庫)に書かれている、とされているのだけれど、僕が読んだ限り『ベルツの日記』にそのような記述はない(日光に出かけた記述はいくつかある)。恐らくほかのベルツの論文にあるのがどこかで紹介されて一人歩きしたのだと推察するのだけれど(ベルツが1901年にベルリン医学会で報告した、「日本人の食生活の栄養学的検討」(Ueber vegetarische Massenernahrung und ueber das Leistungs-gleich-gewicht)あたりか)、原典を確認していないので断定した書き方はできない。他のサイトはそこら辺を確認せずにコピペしているだけのようだ。エピソードの細部にもばらつきがあるのだけれど、要点として上記のようなものだ。

また、このエピソードは菜食関係のサイトではしばしば「肉食に対する菜食の優位性」を表すエピソードとして引用されるのだけれど、こちらのブログでも指摘されているように、走れなくなった車夫は、米の代わりに肉を食べさせられて、単純に炭水化物が不足しただけ、とも解釈できる。僕たちランナーならピンと来ると思うけれど、毎日40kmも走るには、エネルギー源としての糖質を取るためのカーボローディングは欠かせないはずだからだ。

だからここで強調されるべきは、「肉はダメ」というよりも、「玄米のおにぎりと梅干し、味噌大根の千切りと沢庵」、それにふだんも米・麦・粟・ジャガイモなどの典型的な高炭水化物・低タンパク・低脂肪食だった車夫が、普通に毎日40kmを走っていたという事実だろう。僕はこの明治時代の車夫のエピソードを聞いて、走る民族と言われるメキシコのタラウマラ族のことを思い出さずにはいられない。彼らはトウモロコシと豆だけがほとんど食事のすべてで、切り立った山岳を走り続けることができる。炭水化物をしっかり食べつつ粗食であることと、長距離ランや耐久性には、明らかな相関があるように思うのだ。

そしてもう一つ、人間と馬が長距離を走ってほとんど変わらない時間でゴールをする、という話で思い出すのがアメリカの伝統あるウルトラトレイルレース、ウエスタンステーツ100だ。もともと馬で100マイル(160km)を24時間で走るレースだったテヴィス・カップで、馬の代わりに自分の脚で走りきってゴールしたゴードン・アインズレーからこのウエスタンステーツが生まれたエピソードはあまりにも有名だ。せっかくだったら、東京と日光を結ぶ110kmの馬と人間のレースを作って、明治の時代を駆け抜けたウルトラランナー、人力車の車夫たちに思いを馳せつつ、ベルツ・カップと命名したら面白いのかもしれない。もちろん、エイドステーションにあるのは玄米のおにぎりと梅干しだ。

 

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松島倫明

(まつしま・みちあき)
NHK出版 編集局放送・学芸図書編集部チーフエディター 翻訳書の版権取得・編集・プロモーションに従事。ノンフィクションから小説までを幅広く手がけている。代表的なタイトルにアンダーソン『MAKERS』『フリー』、ヴォネガット『国のない男』、フォア『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』など。『脳を鍛えるには運動しかない!』という本を編集してからは、贅肉をとるためでなくポジティブに走るようになり、『BORN TO RUN』を編集して以来、裸足系シューズやサンダルで走るサブ4ランナーです。ジュレク の『EAT&RUN』の編集中に完全菜食主義の生活を3か月間体験し、メキシコ・コッパーキャニオンのUMCB(80km)でウルトラレース初完走しました。

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